通勤電車内で書くブログ

朝夕の通勤電車内の限られた時間内で書くブログです。

尊敬を捨てよう?

今日は所用のため、午前半日だけの勤務。いつも弁当を作って持たせてくれる妻に、今日は弁当不要の旨を伝え、いつも持っているリュックも持たずに出勤している。

リュックがないと、なんとなく落ち着かない感じがする一方で、手ぶらで気楽な感じもする。どっちがいいんだろう…と思ったが、極力、荷物がないに越したことはないか、と思うに至る。

さて、昨日、たまたま目にした記事で、気になるものがあった。

発達障害がキャラ化して「バブル状態」の異様、裏に日本人の“承認依存”文化(ダイヤモンド・オンライン) - Yahoo!ニュース

4ページに分けられているうちの3ページ目と4ページ目にある、俳優の高知東生さんのツイッターの引用部文が自分にも非常に思い当たるなと思って反省をしたところ。

特に、

「よく考えたら表の仕組みを何も知らないんだよ。そもそもの知識がないし、知る努力を面倒くさがってた。でもちゃんと調べなくても裏を読んだつもりになるって楽に賢そうな気分になれたんだよ」

というくだり。

知る努力を面倒だとは思わないけど、でも、足りているかと言われれば、足りてないだろうと思うし、間違いなく知識はない、足りない。

知識を持っている人に尊敬はあって、どこかで追いつくことはないと思っている部分もあって、変な言い方だけど、努力するのに躊躇してた部分もあったようにも思える。

人への尊敬はあっても、追いつけ、追い越せでやっていく努力への躊躇はなくしていこうと思った次第。

今回はここまで。