通勤電車内で書くブログ

朝夕の通勤電車内の限られた時間内で書くブログです。

必要ではないことが楽しい

あらためて生きていく上で必要なものを考えてみた

 

衣、食、住、医療、金…ざっくりと思いついたのはこんなところ。

(なんか見落としているものがある気がするけど、今は気にしないでおこう。)

 

着る物・身に着ける物、食い物、住むところ、健康を維持するのに必要なもの、そして、これらを手に入れるのに必要なもの…。

これらに該当するものであれば、基本的に生きていける、はず。

 

逆に、これらの物に該当しなければ、生きていく上では別になくても問題ない、はず。

なくても問題はないはずのもの。例えば…

テレビ、本、パソコン・スマホ、音楽、スポーツ、趣味、仕事など…。

これらのものが無くても絶対的に困ったり、直接的な死因になることはない。

けれど、それがあることによって、生活が豊かになる、楽しくなる、彩が加わる。必要ではない物事があるおかげで、楽しく生きていくことが出来るようになる。

 

僕はマラソンやってるけど、別に生きていく上で必要なものではない。10時間近くもかけて、わざわざ100km走らなくても、車に乗って高速走れば1時間で走れるし、何かしらの目的(物を運ぶとか)があって移動するわけではなく、設定されたスタートとゴールの間を走っているだけであって、言ってしまえば無駄な行為でしかない。

 

野球なんか、ボールを投げて、棒を振り回して打ち返して、それを綿の入った手袋で取って、投げて…。言ってしまえばこんなスポーツだけど、自分で実際にやってみても、人がやっているのを見ても野球という競技は面白い。

 

僕は心のどこかで、あるいは無意識のうちに、必要があるものにのみ意味・価値があって、必要ではないもの、あるいは、必要なものにつながらないと感じる物を追求することを無意味・無価値と感じていたところがあったのではないかと思う。

 

それゆえか、趣味やスポーツなどを、どこか一つ熱くなりきれない部分があった。(他方、仕事は寝食を抜きにしてでもやろうするところがあるが、仕事が金につながるからと意識していたわけではなく、義務感に駆られてやってたところが強いため、この点は自分でも矛盾していると感じている)。

 

必要なことはもちろん必要だけど、必要ではないことのおかげで、人生を豊かで楽しくなる。であれば、そこに価値や意味を感じることもまた出来るはず…。

 

月に一度、ご指導いただいている方とランチをご一緒した際に出てきた言葉を基に、少し自分の生き方、考え方を見つめ直すことが出来ました。