好みに変化は…
朝夕に桜を見ながらの通勤が1週間か10日くらい出来ていることに気付きました。思ったよりかは桜を見れているので、とても満足な通勤の日々です。
子どもの頃は、花より団子でしたので、桜のありがたさを感じることは、ほとんどなかったのですが、成人を迎える頃には、桜を愛でるようになりました。
とはいえ、成人の頃なんかは、桜を愛でるようになったと言いつつも、やっぱり食の方が勝っていたので、さほど桜は愛でてもなかったかもしれませんが…。
食の好みが変わるのに合わせて、桜を愛でるようになったのかなとも思ったりもします。
自分の場合、成人になる頃には、肉より魚派でした。ただ、肉より魚と言っても、放っておいても肉を食うので、魚が選択できるのであれば、選んでいたというのが、正確なところかもしれません。
それでも、食の好みの変化と桜を愛で始めた時期とに、私の場合は、なんとなく整合性があるような気がします。
食の変化というと、つい老化と結びつけて考えてしまいます。もちろん、老化に伴い食の好みが変わるというのは確かなんだとは思いますが、趣向・思考も併せて変化することがあるのかな、とも思ったりもします。
そう言うと、桜を愛でるのが老化の現れ、と言うことにもなりかねない気もしますが、好みは変化していけども、向上心とか好奇心とか、なんて言ったら良いんでしょうかね?心の弾力性とでも言えば良いんでしょうか?そんな感じのものは無くさないでいたい、無くさないように努めないといけないな、と強く思うところであります。
昨日の夜、沈思黙考しようと言いつつも、結局、そのまま寝てしまったので、今朝もネタはなかったのですが、それでも曲がりなりにも書けました。桜のおかげです。
もうすぐ駅。職場までの途中にある桜を今日も愛でたいと思います。
今回はここまで。