通勤電車内で書くブログ

朝夕の通勤電車内の限られた時間内で書くブログです。

頭のリハビリ開始

アウトプットのためにブログを始めたのだが…

2日目にして絶賛迷走中。

 

悪口をネタにすりゃ1月くらいなら持ち堪えそうだけど、わざわざアウトプットをする必要もないわけで…。

 

あ、別に普段から悪口をいちいち言っているわけでもなく、ネタの宝庫でもないので、1月は持つとは言ったものの、実際はそんなに長持ちはしそうにないです。

 

悪口(ぼやき、愚痴を含む)を言うことは、たぶん少ない方だとは思うけど(そうであると願いたい)、聞かされることは案外多く、タチの悪いことに、悪口を言っていたヤツの「あいつ(=俺のこと)がこの話を聞いていた」という一言で、なぜか何も言わず聞かされていただけの俺が、その悪口を言い、全責任が俺にあるという空気が生じるという不思議なことに直面する。

 

これが為末が言ってた「沈黙は同意したのと同じ」というヤツだろうか(たぶん違うな)。

 

 

俺の生まれるちょっと前くらいに、「日本人が物事を決めるとき、もっとも重要なのは『空気』である」と言い、空気は「大きな絶対権を持った妖怪」と評した人がいるらしい。

 

「空気」の研究 (文春文庫)

 

40数年も前から、そこまで行きつき、それを言葉にして著すことがよく出来たなと感心します。是非とも1度じっくり読んでみたいと思いますが…

 

大きな絶対権を持った妖怪たる空気を上手いこと操っている者の有無ついて何か書かれていないかなぁ…という変な期待を持っています。

 

空気で決まったという場合、その場に集まった人間全員が消極的な態度に終始している中で、「誰かがポロっとこぼした一言」に、これ幸いにとみんなが便乗するというものを基本的にはイメージしているのですが、

 

もし、「誰かがポロっとこぼした一言」の部分で、自分の意図を隠して話の流れを特定の方向に向けるべく言葉を発するヤツがいれば、自分の責任は最大限に回避できた上で、自分の好む状況に事態を運んでいくことが出来るようになるのではないか…

 

そんなことをふと思ったので、それについての答えがあるといいなぁ…などと思っている次第です。

 

もっとも、空気を上手いこと操らずとも、有無を言わせないように空気を作り出すって手法もあるでしょうけどね。

 

例えば、デカい声で圧力をかける、聞き入れられるまでうるさく言うとか、あと、「みんながそう言ってる」と、誰も何も言っていないのに、勝手に「みんな」を代表してと言って訳の分からんことを言うヤツとか、裏でネチネチとめんどくさいことを言うヤツとかね…。

 

あ、目標の1000字に到達した。アウトプットと称して何かを書くのって大変…。

ここまで書いておいて、記事のタイトルが決まらん。

読み返したけど、悪口は少ない方書いていながら、全体的になんとなく愚痴っぽい感じの記事になっているような感じもするし。アカンなぁ…。

タイトルはどうしようか…。とりあえず「頭のリハビリ開始」とでもしとくか。