通勤電車内で書くブログ

朝夕の通勤電車内の限られた時間内で書くブログです。

シンキングスピードの差?

通勤の際、電車に乗る。

 

2日ほど前、乗車する列の先頭に立って電車を待つことがあった。

そして、乗る予定の電車がやってきて、ドアが開く。電車から何人か客が降りてきて、少し間が空いたので、降りる人はいないのかと思い、電車に乗り込んだ瞬間、高校生らしき連中が10人くらい一気に降り出したため、形だけなら、電車から降りようとする客を差し置いて、電車に乗り込もうとするような格好になってしまった。

 

私としては、降りる気配がないと思ったので乗り込もうとしたわけで、降りるんだったらさっさと降りろよ、何をボヤボヤしてるんだ、と思わずにいられなかった。

 

そういえば、通勤時に街中を歩いていても、なんともチンタラと怠そうに歩いている高校生がいて、そいつらをさっさと追い抜いてしまうのだが、友達としゃべりながらとは言え、よくそのスピードで歩けるな、と思うくらいである。

 

最近の高校生は…みたいなことを言うつもりはない。おそらく、自分が彼らくらいの年のころでも、ダラダラ歩いていた連中はいたし、そして、そいつらを当時高校生だった僕は今と変わらずさっさと追い抜いて歩いていたはずだから。

 

そういえば、昔、歩くスピードとシンキングスピードは比例するみたいな言葉を聞いたことがあった。意味はよく知らないけど。(検索してみると、どうも自己啓発書のタイトルのようだった。)

 

この言葉が真実かどうかは知らないけど、文字通りに捉えると、今の(かつての同級生だった)高校生のシンキングスピードは、僕から見ればものすごくノロいということになるが、さすがにそれはないだろう(中にはホンマにそういう人もいるかもしれないけど)。

 

たぶん、友達と喋ったりしてて、そっちに思考が回っている分、歩行とか周囲への注意力が激減またはゼロになっているだけなんだろう。そう考えれば一応の説明はつくか。

 

シンキングスピードに差はないけど、使い方に違いがある。高校生時分の子は、年相応に今を楽しむことに使っている(周りが見えなくなるくらいに)、ということか。

逆に、俺は今も昔も一人、人とはちょっと違った使い方をしていて、他に目もくれず歩き続けてきたわけか。それはそれで、周りが見えていない、視野狭窄な感じがするな。

 

シンキングスピードを高められるよう、そして、視野を広く、思考を深くできるように頑張っていきたいと思います。